blogぼちぼちいこか/伊勢志摩不登校ひきこもりを考える会 - 2008/09

サークルぼちぼちいこか/伊勢志摩不登校ひきこもりを考える会




2008年09月30日(Tue)▲ページの先頭へ
伊勢志摩不登校ひきこもりを考える会/例会案内(10月)
ぼちぼちいこか
(伊勢志摩不登校ひきこもりを考える会)志摩例会


日時
10月12日(日) 午後1時30分〜4時頃


会場 志摩市阿児町鵜方1975 
志摩市鵜方公民館 2F小会議室

 (近鉄鵜方駅北口下車・徒歩数分)
  電話…0599-43-2211

浜口 / 電話…0599-85-2752 
E-mail…ZAN20571@nifty.com 

子どもみらい会議 伊勢例会

日時
10月18日(土) 午後19時〜21時
 
  
会場 いせ市民活動センター南館2F
(伊勢税務署横・外宮前交差点のそば)

・10月と11月の志摩例会は市長選と浜口の都合により第2日曜の午後に行います。

・10月からの伊勢例会は第3日曜の夜に行います。


2008年09月29日(Mon)▲ページの先頭へ
子どもみらい会議/伊勢大祭で屋台出店
子どもみらい会議/伊勢大祭で屋台出店

10月4日(土) & 5日(日)
  10時〜17時 


10月4,5の2日間、伊勢大祭のパレードの道路を囲む新道商店街の前の道路の側道で、【子どもみらい会議】の出店《アート体験の出来るコーヒー屋さん》をします。


2008年09月22日(Mon)▲ページの先頭へ
三重フレネ研究会10月例会

三重フレネ研究会 10月例会

〈10月研究会の提案 〉

 10月4(土)  午後3 : 30 〜 6 : 00 
 三重大学教育学部 佐藤広和(仮)研究室
(美術棟横自転車置き場前のプレハブ2階奥)

・教育学部校舎の耐震工事のため、会場が変更になっています。
プレハブの入口がしまっている場合は、海側の窓から降りている紐で
合図するか 浜口まで連絡して下さい。

《テーマ》
    仲間づくりと学びの共同体
 

・現在6年生を担任している先生が、昨年4月から2学期の初めまでの
子どもたちの様子と取り組みについて報告してくれます。

・参加に際してレポート等を持ち込む場合、当日にその場での印刷が出
来ませんので、10枚程度を印刷してきていただくか、前日夕方までに
浜口( zan20571@nifty.com )に添付ファイルを送ってください。ただし、
XP(word2003)より新しい形式ですと、読めない場合がありますのでご注意
下さい。


2008年09月16日(Tue)▲ページの先頭へ
コミュニケーションについて考える 5
 
踏み出す勇気/自分を好きになること 
 
話す/表現をするためには、一歩踏み出す勇気が大切だと述べました。けれども、なかなかその勇気を持てない人がいるのも事実です。自分自身も含めた私の今までの経験からすれば、【勇気が持てない⇒他の人を信用できない(他の人が怖い)⇒実は、自分自身を好きになれない】という図式がけっこうあるようです。
 
その場合の処方箋は、自分自身を好きになれれば良い……ということになりそうです。私もそうでした。
 
自分を好きになる…ということは、自分自身のイヤな部分やカッコ悪い部分、醜い部分も含めて、ありのままの自分を受け入れ、それを許してあげることから始まります。ということは、自分を好きになれない人は、自分のイヤな部分や醜い部分を認められない、無視したい、消してしまいたい……と感じている、という事になります。つまり、自分の一部を、自分自身が否定しているのです。
 
どうして自分を否定してしまうのでしょうか。様子を聞いたりしてみると、それを否定しなければ「良い子」にはなれないし、「良い子」になれなければ生きている意味がないと心の深いところで信じ込んでいる(ただし、それを意識していない場合も少なくありません)ことが多いようです。その結果、自分の思いや感情や欲望を押し殺してしまう習慣がついてしまいます。そして、「自分」という実感が失われてしまうのです。「透明な存在」などという言葉は、そんな心情を表しているのではないかと思います。
 
なぜ、自分が好きになれないかを深くじっくりと考えてみると、そんなことが見えてきます。それが見えてくると、なぜ「良い子」でなければいけないのか? 「良い子」っていったい何なのか? という疑問も湧いてきます。さらに考えを深めていくと、人間誰でもイヤな部分や醜い部分を持っているけれども、それも含めて【人間】であり、「良い子」を目指し続けた自分はないものねだりの無理をしていたことが分かってきます。それが分かれば、自分のイヤな部分などもふくめた「ありのままの自分」を許せるようになります。許すことができれば、それを前提にして、少しでも「今の自分」の状態を改善していくための努力が可能になります。努力の結果、自分が変わったことを実感できれば、不思議なことに、それなりに自分が好きになれるようです。
 
ただ、注意しておきたいのは、自分を好きになる……ということは、自分を甘やかすことではありません。自分のイヤな部分や醜い部分を知っても、それを少しでも改善しようという努力を放棄して開き直り他の人のことを考えずに自分だけの「楽」や「欲望」を追求するのは、自分を甘やかしているだけの人です。
 
そのような場合は、利害関係や損得がある場合や、圧倒的な力の差がある場合に他者は辛うじて接してくれますが、利害関係がなくなったり力関係が逆転したりするとそれまでのツケが回ってくることが多いようです。「休む」ことは時として重要だし、その場合は他者に甘える(甘えられる)ことも大事です。そして、関係が深まっていれば、お互い様のところもあるので、他者も「甘え」は許してくれるでしょう。でも、自分を甘やかして他者のことを省みなければ、長い目で見れば、けっきょく、辛い運命が待っているのです。
 
自分のイヤな部分を許せるようになると、他者も許し、受け入れられるようになります。他者に対する恐れは徐々に小さくなり、関係を結び、深めていきやすくなるのです。当然、コミュニケーションに際しての不安や恐れは小さくなります。いっそう、話したり表現したりするためのハードルは小さくなるわけです。コミュニケーションを重ね、関係を深めていく条件は整います。必ずしも簡単に、そして短時間でできるわけではありませんが、努力してみるだけの価値はあるのです。
 
コミュニケーションをしていく、ということは関係を作り、深めていくことです。一生の中で出会うすべての人々との間で、いつも、深くコミュニケーションを重ねることは誰にも出来ませんが、周囲の何人かの人とコミュニケーションをしながら関係を深めていくことは、自分自身を見つめ直し、成熟させていくことにも繋がっていきます。
 
「今」は、確かに「コミュニケーションが苦手だ」と感じているかもしれません。それでも、自分の周りを見渡してみると、つたない表現や言葉の奥にある思いや感情を、わりと的確に受け取ってくれている人は何人かいるのではないでしょうか。もちろん、時には感情のぶつかり合いもあるだろうし、ケンカをする事だってあるかもしれません。けれども、お互いに自分を出し合えるからこそ感情のぶつかり合いやケンカも起こる…という事だってあるのです。そういう人たちと支え合いながら、自分を成長させていく……そこに人生の楽しさやおもしろさがあるのではないでしょうか。私は、そんな風に思います。
 
 
《付記》
この文章は、一般的な条件の例で考えているものです。そのため、当事者が軽度発達障がいなどの条件を持っている場合はまた異なってきます。そうした場合、相手の立場に立って考えたり、相手の思いや感情を想像してみることが難しかったり、感情のコントロールが普通の人よりも難しかったりします。けれども、医療機関などと連携しながら、その人に応じた【療育】などサポートをきちんと受けることで改善されることは多いです。軽度発達障がいなどの可能性がある場合などは、早めに【療育】を始めるほどその効果は大きくなるようです。


2008年09月15日(Mon)▲ページの先頭へ
コミュニケーションについて考える 4
 
 話すこと/表現 
 
次に、表現することについて考えてみましょう。話すことも書くことも、「言葉による表現」というくくり方をすれば同じです。書き言葉によるにしろ、話し言葉によるにしろ、相手に伝えるということを意識して言葉で表現する練習を積み重ねれば、スピーチの全国大会で優勝するとか芥川賞をとるというレベルまで行くのは難しいでしょうが、日常生活のレベルでは意識して努力した時間の分だけ、それなりに言葉で表現することは上手くなるものです。書くことにしろ、話すことにしろ、上手になろうと思えば、それなりに時間をかけて話したり書いたりする努力を積み重ねることが大切なのです。
 
ただ、その際に、良い聞き手や良い読み手に恵まれると、話したり書いたりする意欲が芽生え、大きくなっていきます。その意味では、安心して話したり、書いたものを読んでもらったりする相手がいる人は、それだけ努力をしやすい環境にあるということです。
 
例えば、昔、詩を書いていた仲間の作品を読んで、「これはいつもと違う」というコメントをしたところ、作者から、「これは失恋をして、精神的にひどい状態だった時に書いた詩です。どうして分かったのですか?」という返事が返ってきたことがありました。詩の言葉の中に、通常と違うものを読み取ったことによって、相手がさらに深いコミュニケーションに進んできたのです。
 
話を聞いている時でも、「こういう気持ちだったの?」とか「こういうことを考えていたの?」というような形で、話し手が言葉として整理しきれていない感情や思いを言葉にしてさらに深く聞いてあげると、より詳しい話になり、話している間に、話し手自身も様々なことに気付いていった……という経験もけっこうあります。
 
きちんと聞いてもらえる場、きちんと聞いてもらえる人の存在は、話し手のさらなる表現を引き出していきます。そして、表現する機会、量、回数が増えていくと、次第に、どのような形で表現すると伝わりやすいか……ということを、話し手の側が感覚的に理解できるようにもなってきます。その他の表現でも状況は良く似ていて、きちんと受け止めてもらえて表現の中の思いや感情まで読み取ってもらえると、気分的に表現することへのプレッシャーが小さくなり、表現する意欲も出てくるものです。
 
ただ、誰もが最初からそのような恵まれた環境にあるわけではありません。話す側、表現する側も、1歩踏み出そうとする勇気を持つ必要があるのです。つっこんだ話をしよう、表現を表に出してみよう、と考える際に、その相手もしくは場を信頼してみる…という部分があります。そして、相手の側も、自分が信頼されているのだ…と感じたら、普通はそれなりにきちんと聞こう、きちんと受け止めようとする気持ちが働くものです。
 
確かに、中には悪意を持っていて利用しようとする人がいるのは事実です。けれども、悪意を持つ人よりも、普通の人/特に悪意を持っていない人の方が圧倒的に多いのです。(それゆえに社会は成り立っているのです。)そして、普通の人は、自分が信頼されていると感じるとその相手を好ましく思うようになりますし、好ましい相手の話なら時間さえあればきちんと聞いてくれます。あるいは、きちんと表現を受け止めようとしてくれます。その過程で、相手との関係も深まっていくのです。
 
だから、苦手ではあっても、言葉にする/表現してみる…という気持ちや意欲を持つことは大切です。中には、聞く/受け止める能力の高い人もいますので、そんな人や場に巡りあえれば話す/表現する機会も飛躍的に増え、それがトレーニングとなって、話す力/表現する力が高まっていきます。そんな人ばかりではない…という気持ちもあるかもしれませんが、宝くじを買った人でなければ絶対に宝くじは当たらないように、自分から一歩前に踏み出さない限り、聞いてくれる/受け止めてくれる相手には、けっして出会うことはできないのです。
 
最初は、家族や親戚や近くの人、幼なじみ、同じ趣味やよく似た活動をしている人など、一緒に過ごす時間がそれなりに長い人からでもいいと思います。話をしてみて、聞いてくれそうな人かを観察してみれば良いのです。話しているうちに相手の意外な面が見えてくることがあります。あるいは、周りの人を橋渡しにして、新しく出会える場合もあります。いずれにしても、自分から閉ざしていると先へは進みません。一歩踏み出す勇気を持つことが大切なのです。
 


2008年09月14日(Sun)▲ページの先頭へ
コミュニケーションについて考える 3
 
 聞くこと/受け止めること
 
 
ところで、自分はコミュニケーションが苦手だと思っている人について考えてみると、言葉によるコミュニケーション、つまり、自分の思いを声や文章で表現して相手に伝えることが苦手だ……と感じている人が多いように感じられます。そして「口べただから」とか「文を書くのは苦手だから」といった思いから会話や文章表現におっくうになり、一層、苦手意識を増幅させてしまうことになるようです。
 
けれども、コミュニケーションが言葉によるものだけではないことや、必ず相手が存在することなどを意識すると、必ずしも上手な話し手や書き手であることが絶対条件ではありません。実は、少し意識を変えれば、それなりに上質のコミュニケーションは体験できるのです。それは、「聞く」、あるいは「読む」ということです。良い聞き手や良い読み手となればいいのです。良い聞き手は、意外と好かれるものです。それは、裏を返せば、他者の話をきちんと聞く人が普通に考えられている以上に少ない……という事でもあるのですが、人間関係を作ったり、深めたりしていく際には、この「良い聞き手」になる、というのはけっこうプラスになるのです。
 
きちんと相手の話を聞くためには、まず、相手に意識を集中する必要があります。例えば、男女間の会話でも、女性の方は、愚痴を言って思いを共感してもらいたいだけであるにも関わらず、男性の方では深刻な相談を受けて問題を解決する手立てを出してあげなければならないのだと誤解し、女性の話をさえぎって「解決策」を提示し、返って女性の感情を害してしまうような場合があります。これなどは、相手の「言葉」だけを聞いていて、相手に意識を集中していないから起こってしまう誤解だろうと考えられます。
 
しかし、相手に集中してしっかりと聞く……というのは、言葉にすれば簡単ですが、実際はそれ程簡単ではありません。それは、相手の言葉だけではなく、表情や行動などから感情の動きまでも類推し、必要に応じて言葉の裏にある思いや意識化されていない感情についても思いをめぐらすことだからです。しっかりと聞くには、集中力と気の長さと相手に対する思いやりが必要なのです。それは、相手の存在を、損得はもちろん何の条件もなしにそのまま受け止めようとすることにもつながっています。その意味では、非常に忍耐力とエネルギーが必要であるということもいえる訳です。
 
ただ、それは決して無駄にはなりません。相手の話をきちんと丁寧に聞くことによって、その相手との関係は確実に深まっていくものです。だから、人間関係を深めたいような相手の話をきちんと聞こうとすることは、人間関係を結び深めようとする際にはかなり有効な手立てとなると考えられるのです。
 
とは言っても、集中してしっかり聞く、というのは本当に大変な作業です。というのは、相手の思いや感情をしっかりと受け止めるためには、一旦、自分の思いや感情や意見を保留して、ニュートラルな状態で聞いた方が良い場合もあるからです。「そうは言うけど…」とか「何を甘ったれているのか」と、つい口にしてしまいそうな話であっても、とりあえずはそんなことを言わずにしっかりと聞く。考えてみると、けっこう難しいのではないでしょうか。だから、「聞く」ことを職業としているカウンセラーなどは、1時間当たりで\8,000とか\10,000とかのカウンセリング料金を取ります。それは、それだけ、集中してしっかり聞くということが大変な作業であることの裏返しでもあるのです。
 
ただ、どんなことであっても、意識して努力を続ければ大抵の事はそれなりに上手くなるものです。これは、「聞くこと」でも同じです。常に、丁寧に聞く事を心がけることが大切だと思います。
 
では、どのように「聞く」ことを心がければ良いのでしょうか。時々、相手の視線を受け止めたりしながら、相槌を打ったり、「ウンウン」とうなずいたりする。聞いていて分からないことが出てくれば、それをさらにたずねてみる。例えば、そんな風に聞くと良いでしょう。的確な質問は、相手の話をきちんと聞いているから出来るのだし、また、質問されることで、話し手自身が考えを整理したり、感情を見つめ直すきっかけになったりもします。それによって、いっそう話しやすくなり、言葉だけでなく自分自身の存在を受け入れてもらえると感じられて、聞き手に対する安心感や信頼感が育まれていくのです。
 
だから、きちんと話を聞くことは、コミュニケーションやお互いの関係を深めるために、非常に重要な意味を持ちます。話したり、書いたりすることが苦手でも、丁寧に話を聞いたりじっくりと書かれたものを読んだりすることは、意識していけば、何とか出来そうではないでしょうか。そう考えられれば、努力は可能です。とりあえず、読んだり聞いたりすることから出発する……というのも1つの手なのです。
 


2008年09月13日(Sat)▲ページの先頭へ
コミュニケーションについて考える 2
 
コミュニケーションの種類と深さ 
 
コミュニケーションと言っても、話をし、それを聞くだけがコミュニケーションではありません。お互いの意思を伝え合う言葉や行動や表現のすべてがコミュニケーションです。その意味では、サッカーのアイ・コンタクトもコミュニケーションだし、車ですれ違うときに、道をゆずってもらった方が軽くクラクションを鳴らしたりするのもコミュニケーションになります。つまり、文字や話す言葉だけがコミュニケーションなのではなく、ノンバーバル・コミュニケーションなどと呼ばれる、文字や話し言葉を使わない意思の伝達もコミュニケーションと言えるでしょう。そして、思いを伝える…ということで考えれば、絵画やダンスなどもコミュニケーションと言って良いかも知れません。人間は、言葉だけでなく、様々な形でコミュニケーションをしているのです。
 
そうしたことを考えれば、「おはようございます」と挨拶することはもちろん、道で出会って軽く会釈をして通り過ぎるのもコミュニケーションだと言えます。毎日、挨拶を交わすだけの関係でも、それによってお互いに敵意がないことが分かり、少しずつ会話がしやすくなってくるのです。当たり障りのない会話を積み重ねていくうちに、少しずつ相手のこともわかってきます。その中で安心感や好意を持てるようになれば、さらにいろいろな会話を楽しめる関係になっていくのです。
 
当然、その過程で、コミュニケーションそのものも、浅いものから徐々に深い部分へ突っ込んでいく場合も出てくるでしょうし、コミュニケーションが深まってくれば、関係そのものも深まっていくでしょう。知り合って数週間程度の遊び仲間には恋愛の相談はし難いでしょうが、自分のことを理解してくれると信じられる親友になら、恋愛や家族とのトラブルなど様々な悩みについて相談することは多いのではないかと思います。
 
ただ、ちょっとした挨拶や天気などの当たり障りのない会話は、コミュニケーションとしては浅いものです。「自分」の深いところまでは見せずに相手に対する敵意を持っていないことを伝えあっている程度であれば、コミュニケーションとしても相互の関係としても浅いものと言えるでしょう。
 
しかし、深刻な悩みや、正直な思いや感情をある程度出し合い、かつまたそれを受け入れあっていけば、コミュニケーションは当然深いものになり、言葉にしなくてもお互いの思いや感情が理解できるようになったりするでしょうし、あるいは言葉の奥に流れているものまでも理解することが出来るようになったりもするでしょう。そうなると、お互いの関係もより深まっていくことになるのです。
 
もちろん、深いコミュニケーション/深い関係は、必ずしも「良い」ことばかりではありません。大変な悩みや自分の力ではどうすることも出来ないような問題を打ち明けられてシンドイ思いをしたり、相手のことを思って言ったことややったことが返って相手を深く傷つけたり、仲たがいをしてしまって自分も傷ついたりすることだってあるのです。
 
それに、浅いコミュニケーションや関係の楽しさや気楽さ……といったものもあります。飲み屋やスナックの従業員に軽口をたたいたり、ゲームセンターでたまたま居合わせた相手と対戦ゲームを楽しんだりするのも、お互いに深い関係ではないからこそ、純粋にその時間を楽しめる……ということなのです。
 
そのように考えてみると、けっこう様々な人と知り合いで友人の多い人間関係の達人のように見えるような人でも、コミュニケーション/関係の浅い相手と、コミュニケーション/関係の深い相手はいるようです。そして、関係の深い相手は、それほど多く必要という訳ではありません。数人でも十分なのです。
 
いいえ、数人どころか、たった一人でも、自分のことを理解してくれて深いコミュニケーションができる相手がいれば、それなりに豊かな人生を送ることも可能です。そして、少数の深い関係の相手以外は、浅い関係であっても差し支えはありません。すべての人と深いコミュニケーションをして、深い関係を結ぶ必要はないのです。
 
そのような理解をすると、最初から深いコミュニケーションをする必要はないし、また、すべての人と深いコミュニケーションをする必要もないことが分かってきます。浅いコミュニケーションからスタートをして、少しずつ深いコミュニケーションができそうな相手を探し、その人との関係を深めていけば良い……という事なのです。
 


2008年09月12日(Fri)▲ページの先頭へ
コミュニケーションについて考える 1
 
はじめに
 
 
不登校・ひきこもりの相談を受けていると、当事者のコミュニケーション能力が問題になることがあります。実際、不登校が長引いてひきこもり状態になってしまった時に、同級生や周りの視線が気になって、なかなか外に出られなくなってしまうような例は少なくありません。
 
そんなこともあって、不登校ひきこもり問題への対応で文部科学省の指定を受けた県内の高校の1年目の研究発表会に際して、「技術(スキル)としてのコミュニケーションの訓練をする機会を設定することも大切ではないか」と言う意見を述べたことがありました。それだけがすべてではないにしても、そうした知識を持ち訓練を重ねることによってコミュニケーションに対する自信が芽生え、他者に関わっていくきっかけになると考えたからです。
 
ところが、コミュニケーション能力の問題は、実は必ずしも当事者だけの問題ではありません。実際、彼・彼女らを支える立場にある親の中にも、コミュニケーションが自分は苦手だ、と考えている人が少なからずいたりするのです。今年に入ってからの何回かの個別相談においても、そうした例がいくつかありました。
 
そこで、今回は、コミュニケーションについていろいろと考えてみようと思います。
 


   


【サークルぼちぼちいこか/伊勢志摩不登校ひきこもりを考える会】は、事務局の浜口が、【三重県登校拒否・不登校・ひきこもりを考える会】(三重県・考える会)の世話役をしていたところ、「伊勢志摩にも家族会を!!」という声が上がったため作られたものです。


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浜口 拓/志摩市志摩町片田で小中高15校20年の経験とフレネ教育やカウンセリングの知識を生かした《浜口塾》を開いています。教育相談にも応じます。また文学活動などもしています。よろしければ【TAC雑想記】 【TAC文芸樹】のblogも覗いて下さい。

カレンダ
2008年9月
 
       

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