いじめにどう取り組むか 〜不登校の現場から〜 B

07,1/13 多気郡教育会館での講演原稿より

2007年07月04日(Wed)
いじめにどう取り組むか 〜不登校の現場から〜 B
3、いじめについて
・なぜ、いじめが起きるのか
   被害者の心
   加害者が意識している場合/意識していない場合
   周囲の子どもたちの姿勢
   大人の姿勢
 
ここで、【いじめ】そのものについて、もう少し詳しく考えてみましょう。昨年からずっといじめに関係するニュースが続いています。そして、最初に触れたように、【いじめ】そのものは今の日本の学校だけに多発している訳でもありません。しかし、今の子どもの間での【いじめ】が昔以上に被害者の心に深い傷を残す可能性が高いことに気づいている大人はそれ程多くはありません。そして、加害者や周囲の子どもたちの心にも悪影響を及ぼしてしまうことを理解している大人はさらに少ないのではないか……と思われます。ある意味では、【いじめ】はその被害者や加害者だけの問題ではなく、彼らを含めた子どもたち全体に影を落とす問題なのです。
 
それを考えれば、「うちの子はいじめられていないから…」とか「うちは関係ないから…」といった態度でいては、子どもに対する大人としての責任を果たしてない…ということになり兼ねません。直接、いじめたりいじめられたりしていなくても、知っていながら周りで見ているだけの場合だってあるのです。それが、子どもの心の成長に悪い影響を与えるとしたら、親として、教師として、大人として放置してはおけないと思います。
 
今の子どもたちは、昔の子どもたちと比較して、兄弟姉妹や地域の異年齢の子どもたちの間で遊んだりけんかをしたりする経験が以前よりも減少しているために、全体的に対人関係のストレスに対する耐性(がまん強さ・うたれ強さ)が弱くなっています。そのため、少しのことで暴発したり、自信を失ったりする不安定なところがあります。それが、いじめ問題に悪影響を与えるところがあるのです。だから、逆に、明らかになった【いじめ】を《1つの事件》として、大人たちの適切な関わりによって、子どもたち皆の【良い経験】にしてやれるように導くことができれば、子どもたち1人ひとりの心の成長につなげられます。そのような関わり方ができるように大人たちも協力し合い、力をつけていくことが必要ではないかと思われます。
 
少し話が逸れました。いじめ関係の中での子どもたちの心について考えてみましょう。
 
まず、いじめられた側の子の心について。特に、いじめを長期間にわたって受けた子どもは心に深い傷を負っています。私は、大学4年生の頃から5年ほど、被差別部落にある児童館の館長さんの努力でスタートした【子ども村】に参加した経験があります。1週間の間に、何人かの他の大学生たちと地域のお寺に泊まり、皆で協力して、地域の小・中学校の子どもたちと一緒に遊んだり、勉強を教えたりしていました。その時に子どもたちが良く言っていたのが「どうせ俺はあほやもん」という言葉でした。家で、学校で、そう言われ続けることによって、自分は勉強が出来ないのだと思い込み、勉強する意欲そのものを失っていたのです。それが、1週間の大学生たちの励ましの中で、その言葉を否定する力が生まれ、実際に勉強に少しずつ取り組めるようになり、今までどうしても出来なかったことがわずか数日で出来るようになっていきました。逆に言えば、否定的な言葉や対応がどれ程子どもたちの心を傷つけ、意欲や自信を奪っているかが実感できた出来事でした。
 
長期間いじめられ続けた子どもも同じです。自分に自信を失い、意欲を失って、自分の存在そのものが意味のない、つまらないものに感じられ、他者と接するのが怖くなるのです。DV…パートナーによる暴力などでも構造は同じで、被害を受け続けることにより、自分が取るに足らない存在だからこそいじめられ、暴力を受けるのだと信じ込んでしまい、悲惨な日常を受け入れてしまうのです。そうなってしまうと、自分も周りの人も信じられませんから、いじめや暴力が理不尽であり、自分が被害を受けているのだというSOSを発することもなかなかできません。そこまで心が傷ついていると、被害者からの発言を得るのは本当に難しいのです。ニュースなどで【いじめ】の事件の報道を聞いていると、「なぜ、言えないのか」という疑問がわいてくるのではないかと思います。その理由の1つは、弱い自分を家族に知られたくないというプライドの問題がありますが、もう1つ、自分に自信を持てなくて取るに足らない、助けを求めるにも値しないつまらない存在なのだ…と思い込んでいる部分もあるからではないだろうかと思われるのです。
 
次に、いじめる側の心についても考えてみましょう。実は、いじめる側には、それをいじめだと意識していない場合と、意識している場合の2つがあります。
 
意識していない場合は、それに気づかせることで状況はかなり改善されるものです。とても仲の良い友達同士の場合でも、時には相手をからかうことがあります。からかわれた方は、多少、嫌な思いやバツの悪い思いをしますが、場面が変われば逆になるような場合はお互い様で、関係を深めるちょっとしたアクセント、お寿司のワサビのようなものです。少し前でしたか、中学校時代の親友と話をしていた時、彼に酒が入っていたこともあり、ひどく絡まれ不快な思いをしたことがありました。けれども、長年の親友ですし、まあ時にはそんな事もある。お互い様なのです。けれども、からかいが一方的で、ずっと続いているようなら、それは「いじめ」になっていくのだ…ということを周りの大人が教えてあげればいいのです。
 
それと共に、生活や勉強の中でムシャクシャしたり、イライラしたり、ストレスをためたりしていることはないかを考え直してみるように仕向けてやるといいでしょう。大人だって、ストレスがたまったりイライラしたりしていると、他の人をからかったり、イライラをぶつけたりするものです。成長期の不安定な子どもは、大人よりもストレスには弱いでしょうし、自分の心を見つめなおす力も十分には育っていませんから、あまり深く考えずに、つい周りの子どもにあたってしまう。それが、本人も気づかないうちに「いじめ」になってしまうこともあるのだ…ということです。それを意識させ、同時にストレスやイライラと上手に折り合っていけるように周りの大人が手助けしてあげられると、「いじめ」も消えていくでしょう。
 
意識していじめている場合は、もう少しやっかいなことになります。その場合は、過去にいじめられた経験を持っているか、他の場でいじめや虐待、耐え切れないようなストレスやプレッシャーを受けて深く傷つき、心が荒んでしまっているからではないか…と思われるからです。他者を大切にできないことは、実は、自分がかけがえのない大切な存在であると実感できていないこととつながっています。自分が大切な存在だとは実感できないからこそ、未来も何も関係ない、今さえ良ければ良い…ということになり、今のイライラやストレスを発散するために弱いと思われる人間をいじめたり、自分が面白おかしく生きるために弱い相手に圧力をかけて思い通りに動かそうと考えたりしているからです。あるいは、暴力を誇示することで自分自身が「強い存在」であり、「大切に扱われてしかるべき存在」であると認めてもらいたい、と望んでいる場合もあります。しかし、努力の方向が間違っていますから、当然、そうした思いは周りには伝わらず満たされない。けれども、別の努力の方法は知らないので、さらに言動をエスカレートさせ心が荒んでいく……ということもあります。
 
だから、大人の側でいじめそのものを強制的に止めると共に、実は深く傷ついて荒んでいるその子自身の心ときちんと向き合い、しっかり関わってあげながら、その子自身も、他の子もかけがえのない大切な存在であることを実感させていくような息の長いサポートをしていくしかないでしょう。時間はかかるでしょうが、それこそ、その子が立ち直り、人間的に成長していくのに必要なことなのです。
 
それから、意外と目が向かないものですが、周りのいじめを知っていながら止めようとしない子どもたちにもいじめの悪影響は及びます。「ドラえもん」で言えば、ジャイアンがノビ太をいじめているのを見て知っているのに、止めようとしないスネオや静香ちゃん、出来杉くんにも問題はあるのです。学校で作文を書かせれば、ほとんどの子どもが「いじめはいけない」「いじめは悪いことだ」と書くでしょう。家で話をしていても「いじめはいけない」と、みんなが口にするでしょう。その意味において、子どもたちも分かっているのです。けれども、誰も止めない。あるいは、止められない。それは、どうしてなのでしょうか。
 
以前、中学校で公民の授業をしていたとき、平等権を教える際に「帰ってきたウルトラマン」の「怪獣使いと少年」のビデオを見せたことがあります。沖縄出身のシナリオライター・上原正三が脚本を書いているもので、冒頭から中盤にかけてひどいいじめのシーンが出てきます。子どもたちばかりでなく、町中の人々が少年をいじめるのです。パン屋へお金を持っていってもパンさえ売ってくれません。たった1人、とぼとぼと帰ろうとする少年に「うちはパン屋だから」と言ってパンを手渡したパン屋のお姉さんを除いて……。それを見た後の感想で、1人の女の子が「私は、パン屋のお姉さんのようにはできません。それをしたことで、今度は、自分がいじめられるようになるかも知れません。それが、とても怖いからです」という感想を書いてきました。これが、子どもたちの正直な声なのです。
 
いじめが悪いことだと思っていてもそれを止められない、という体験を積めば、子どもたちはどうなるでしょう。悪いこと、不正があっても、声を上げられない大人に育ちます。その結果、悪はどんどん社会にはびこり、地域社会は荒れ、すさんでいくでしょう。自分の子どもを、自分の受け持っている子どもを、そのような大人に育てたい、荒れてすさんでいる地域社会で暮らさせたい、そんなことを望んでいる方はいるでしょうか。1人もいないと思います。
 
しかし、いじめを止めに入ったら周りの子どもたちも同調してくれる、先生も周囲の大人も助け、支えてくれるという信頼があれば、1人でも止めに入ることはできます。そのような信頼関係、実感を、子どもたち1人ひとりの心に育てていくことが大切なのです。



   


【サークルぼちぼちいこか/伊勢志摩不登校ひきこもりを考える会】は、事務局の浜口が、【三重県登校拒否・不登校・ひきこもりを考える会】(三重県・考える会)の世話役をしていたところ、「伊勢志摩にも家族会を!!」という声が上がったため作られたものです。


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浜口 拓/志摩市志摩町片田で小中高15校20年の経験とフレネ教育やカウンセリングの知識を生かした《浜口塾》を開いています。教育相談にも応じます。また文学活動などもしています。よろしければ【TAC雑想記】 【TAC文芸樹】のblogも覗いて下さい。

カレンダ
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